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日本の研究力向上を達成するための方法を模索する シリーズ6回目 研究組織の組織不全と改善策

はじめに

日本の研究力向上を達成するための方法を模索する シリーズ6回目です。

  1. シリーズ1回目 学振のPD研究室移動義務
  2. シリーズ2回目 科研費申請書が研究の技術的側面を軽視
  3. シリーズ3回目 擬似成果主義。成果期待主義?申請書主義?
  4. シリーズ4回目 研究組織と個々の研究者の分断問題
  5. シリーズ5回目 ディストピアに予想される3つの不都合
  6. シリーズ6回目 研究組織の組織不全と改善策
  7. シリーズ7回目 研究機器を研究者が購入できる制度
  8. 関連記事 第6期科学技術イノベーション基本計画によって大学など研究組織の任期制は廃止に向かうはず。

今回は、大学など研究組織の組織不全、について述べたいと思います。

関連する過去記事の内容

シリーズ第4回では、「予算の壁」と「業績の壁」が、これまである程度機能していた組織を解体し、弱い個の集合へ向かっているとの見方を示した。

シリーズ第5回では、分断され、連携/協調関係を失った研究室間に漂う緊張感から、派生してくる3つの問題、すなわち「授業」、「共通機器」、「人事」に生じる不都合な状態を指摘した。

これらは、日本の研究力向上を阻害する強力な要因だと筆者は見ている。

今回(シリーズ第6回)は、分断によって、研究組織の組織階層が消滅し機能しなくなってきている点について指摘し、改善策を提案する。

組織階層の消滅

組織が大きいこと自体は喜ばしいことだ。問題は組織編成のあり方だ。

内部分断が進んだ研究組織では、研究室間のつながりが弱くなり、たくさんの利益追究主体たる研究室が、個別に存在した状態になる。

例えば、30から50もの研究室が、他の研究室との希薄な関係でしか繋がらずに、存在するような状態となる。

組織表では、「研究室」を束ねたものが「学科」、学科を束ねたものが「専攻」、「専攻」を束ねたものが「研究科」というようになっているかもしれないが、

このような状態においては、「学科」とか「専攻」とかいった中間的階層が、(協力関係にないという点で)消滅しているとみることができる。

組織階層が消滅した大きすぎる組織の問題点

中間的階層が消滅した組織状態になると、その組織の発展に成員が無頓着になる。すなわち各研究室は研究組織の発展を考えなくなる。

これは研究室が組織の発展に貢献したとしても、その効果を感じることができないからだ。

論文を年に数報余計に書いたところで、多数の研究室の多数の成果に埋もれてしまって、組織の発展に貢献したのかどうかわからなくなってしまう。

そもそも、ある研究室が良い成果を出したことが、組織の発展につながったのかを考えることもなくなる。

特段骨を折って、組織のために貢献しても、組織が大きすぎるために他の成員に十分にリスペクトされることはない。

階層を失った大きすぎる研究組織では全研究室が、所属組織の傍観者になってしまう。

組織階層の再生

分断された研究室を再統合し、強力に連携し、お互いに助け合う研究組織にするにはどうすれば良いだろうか?

現状の問題点は、研究室同士をつなぎとめる制度的な力が弱すぎる点にあった。

またそもそも、個を分断していた要因の1つは業績の壁であった。であれば、個の業績評価から、中間組織の業績評価へと重点を移した制度を設計すれば良い。

ここで2つの説を採用したい。

  1. 「人間がお互いによく知ることで機能できる組織の大きさは150人が限界である」という説と、
  2. 「会議で意見が出るのは参加者が6人以下である場合である」という説だ。

これに則って、「6研究室あるいはその成員が150人を超えない」ように「学科」を作り、6個以下の「学科」を束ねて、「専攻」とし、6個以下の「専攻」を束ねて「研究科」とする。

研究科長は、専攻を評価して、評価に応じて褒美*を配分し、 専攻長は、学科を評価して、評価に応じて褒美を配分し、 学科長は、研究室を評価して、評価に応じて褒美を配分し、 研究室は、研究室の成員を評価して、評価に応じて褒美を配分することにする。

*褒美: インセンティブを与える何かをここでは褒美と呼ぶことにした。

ここまで細分化する必要はないかもしれないが、自身の行動が自身の所属組織の発展に良い影響を与えたかどうかが感じられるサイズにすることは極めて重要と思われる。

ある研究室のメンバーには、同学科内の他メンバーをサポートするインセンティブが生じ、密接な協力関係が生まれるだろう。同専攻内でも同様だ(幾分インセンティブは弱まるかもしれない)。

研究科が研究機関に属しており、成果に連動して褒美が配分されることになっているならば、研究科内の他メンバーをサポートするインセンティブも生じる。

チーム

成員が制度的に形成されたインセンティブで繋がった協力関係にある組織を仮にはここではチームと呼ぶことにする。

組織を再生すれば上記の問題が全て解決する

授業については、戦力たる学生を、最も効率良く伸ばすための授業スキームが生み出されるだろう。

機器は当然、共用される。チーム内に、あまり使われない機械がいくつもあるということは防がれる。

人事の問題も解決する。成果を出せる人がチームに入る方が断然有利だからだ。チームに足りない技術を持っている人も重宝されるだろう。

チームの発展を考えたら、真剣にチームからの業績に貢献できる人を選ぶことになる。必要があればチーム強化のためのトレードもあるだろう。

要はどこかの大学が始めてみることだ

研究者はバラバラに分断されていて、弱い個の集合になりつつある、あるいはもうなってしまった。

分断しているのは業績の壁と予算の壁だ。分断を解消し、協力関係が構築されるように、組織の業績に基づく評価システムをデザインし直さなくてはならない。

ここで述べた方法を、取り入れた研究組織は、急激に発展し、成果が続出するだろう。

となれば、雪崩をうって全ての研究組織がこの方式に変更するのではないかと期待している。

まとめ

日本の研究現場は、業績と予算のあり方のために、個への分断が進行しており、協力関係が失われてしまった。これが研究力低迷問題点の主要因の1つである。

分断されてしまった個の集合を、再結合させて良く機能する組織へと再編成するには、協力関係が再構築されるようなインセンティブが働くような組織の制度を再設計する必要がある。

日本の研究力向上を達成するための方法を模索する シリーズ5回目 ディストピアに予想される3つの不都合

はじめに

日本の研究力を向上するにはどうしたら良いでしょうか?

  1. シリーズ1回目 学振のPD研究室移動義務
  2. シリーズ2回目 科研費申請書が研究の技術的側面を軽視
  3. シリーズ3回目 擬似成果主義。成果期待主義?申請書主義?
  4. シリーズ4回目 研究組織と個々の研究者の分断問題
  5. シリーズ5回目 ディストピアに予想される3つの不都合
  6. シリーズ6回目 研究組織の組織不全と改善策
  7. シリーズ7回目 研究機器を研究者が購入できる制度
  8. 関連記事 第6期科学技術イノベーション基本計画によって大学など研究組織の任期制は廃止に向かうはず。

シリーズ第4回 「研究組織と個々の研究者の分断問題」 では「予算の壁」と「業績の壁」によって、協調関係のある組織から、弱い個の集合へと向かって行ってしまっているという見方について述べました。

今回は、連携/協調関係を失った研究室間に漂う緊張感から、派生してくる3つの問題について述べます。

解決策については、シリーズ第4回に既に述べていますが、さらに次回でも述べる予定です。

ディストピア

問題点を明確にするため、現在の状態がもう少し続いて、かなり悪くなってしまった世界「ディストピア」を考えてみたい。

ディストピアでは、組織の所属員が、各々の利益が最大限になるように振る舞う。予算が獲得、あるいは、業績リストが賑やかになることが期待できることはするがそれ以外はしない。

それぞれの研究室は、それぞれの研究室の業績が最大になるように行動する。隣の研究室を助けるのは、自分の研究室がそれによって利益が期待できるときだけだ。共同研究も、論文発表時にお互いに著者になる前提が必要だ。

また、各研究室間は、お互いに競争関係にある。他の研究室の成功(素晴らしい研究成果)は、組織の中での自らの立場を危うくするので望ましくない。

ディストピアの3つの不都合

研究組織に、30ほどの研究室があり、すっかりディストピア状態になってしまうと、以下の3つの不都合が生じる。他にもあるかもしれないが、現在筆者が思いつくのは以下の3つだ。

不都合その1 教育

授業には、多くの場合多数の研究室の学生が参加する。もし授業担当教員だけが保持している重要なテクニックについてつまびらかに話したらどうか?これは他の研究室の業績向上に貢献する利他的行為となる。つまりディストピアでは、授業内容は重要なものを含まないものへと変わる。

不都合その2 共通機器

ディストピアでは研究機器の貸し借りも容易ではない。1つ1つの研究室が、必要な機器全てを一式揃える必要がある。大学のいくつかの研究室を訪問すれば、月に1度使われるかどうかの機器があちこちにあるのを目にするだろう。

なぜこのような状況になるのか?1000万円する機器を購入したとする。これを他の研究室の学生に使わせた場合に、それは自分の業績になるのだろうか?多くのジャーナルの規定で、機器を貸しただけでは著者になる資格はないとされている。ともあれ使用者に、著者に加えることを求めることもできるだろうが、代わりに悪評が立つ。業績はいっぱいあるようだが、機器を貸した程度の論文が大多数なのではないか?などと思われでもしたら元も子もない。

かくして、ちょっと機器を貸す、という行為はとても難しいものとなる。研究室の中でさえ、機器の共用ができなくなる状況ですら起こりうる。例えば利害を共有していない二人の助教は協力し合えない。

研究機器は高額であり、ディストピアでは多くの研究費が必要となる。現在の日本のような十分な予算がない環境下では、研究力が低下してしまう。

不都合その3 人事

ディストピアでは教授人事が適正になされない。准教授人事までは、教授が研究室の業績向上に最も繋がると信じる人を選べば良いのだから問題がない。問題は、教授(利益主体の代表である)を選ぶ場合だ。研究室はお互いに競争している関係だ。このような中でどのような人物が選ばれるだろうか?

おそらく数人から10人程度の教授で、選考委員会を作ってこのなかで選考を行う。選考委員会ではどのような人物を選ぶだろうか?優れた業績をたくさん出している人は好まれない。採用されれば、競争関係になるのだから当然だ。一方で、皆が使える予算を引っ張ってきてくれる人は歓迎だ。運営費交付金を削られて運営が厳しくなる中、外部資金特に、資金獲得者ではなく組織が使用できる予算(間接経費)を多くとってこられる人は歓迎される。これに加えて選考委員は、自身が昔から知る友人を採用するだろう。友人であれば競争関係であっても面罵されることはないに違いない。若い人も良い。年の差が十分にあれば、力関係で優位を保てる公算が高いからだ。

つまり、素晴らしい業績を持った人や研究能力が高い人は好まれない。表向きの理由は、若くて長く働いてくれそうだからとか、若手にチャンスを、とか言うだろうが、結局のところ組織が発展することを重視して選ぶわけではなく、むしろ逆の選択をすることになる。何年か立って業績がほとんど出なければ、選考委員は「期待はずれであった」と言えば済む(実は期待通り)。

つまり、能力がある人が選ばれるのではなく、選考委員と比べて競争力がない人、あるいは、選考委員のお友達、が選ばれることになる。人事の不都合は、負のスパイラルを招く(このようにして選ばれた能力が不足した教授が、さらに能力が不足した教授を選ぶようになる)。

終わりに

今回はディストピアを仮定して、ディストピアにおける不都合について述べました。

現在どこまでディストピア化しているのか、研究機関によって異なるでしょうが、3つの不都合を肌で感じている人もいるかもしれません。

これらの問題は、個人主義の弊害であり、個人主義の良いところを残しつつ、組織評価の枠組みを考え直すことで、「修正個人主義」に向かうのが良いのではないかと考えています。

これについてのアイデアは次回で述べます。

日本の研究力向上を達成するための方法を模索する シリーズ4回目 研究組織と個々の研究者の分断問題

はじめに

日本の研究力向上を達成するための方法を模索する シリーズ4回目です。

  1. シリーズ1回目 学振のPD研究室移動義務
  2. シリーズ2回目 科研費申請書が研究の技術的側面を軽視
  3. シリーズ3回目 擬似成果主義。成果期待主義?申請書主義?
  4. シリーズ4回目 研究組織と個々の研究者の分断問題
  5. シリーズ5回目 ディストピアに予想される3つの不都合
  6. シリーズ6回目 研究組織の組織不全と改善策
  7. シリーズ7回目 研究機器を研究者が購入できる制度
  8. 関連記事 第6期科学技術イノベーション基本計画によって大学など研究組織の任期制は廃止に向かうはず。

今回は、研究組織が組織として機能しなくなっている、という点について考察し、解決策を提案します。

お断り

シリーズタイトルは「日本の研究力低下の要因を考察する」であったがこれを「日本の研究力向上を達成するための方法を模索する」に変更した。

世の中でも「研究力低下」というキーワードが使われている。このキーワードは「昔は良かったが、今は良くない。良かった頃に戻るにはどうしたら良いか考えよう」というニュアンスがある。

しかし、昔がベストであったと考える根拠は何もない。過去との対比は重要ではあるが、どのように研究力が低下したか、に焦点を当てるのではなくて、純粋に現状の問題点を考察して改善方法を考えた方が生産的であると考えたのが、タイトル変更の理由である。

研究組織

大学や研究機関は、どこも「研究室」などと呼ばれる小さい単位で運営されている。所属人数は5人から30人程度であろう。

この研究室が束ねられて、階層構造が作られているのが普通だ。

階層構造には、下の方から「研究室」「専攻」「研究科」のように名前が付けられていることが普通であると思われる。

筆者の見方

筆者は、この組織単位が機能不全を起こしているとみている。ここで言いたいのは「研究室間」の連携(「専攻間」あるいは「研究科間」の連携は、結局のところ研究室間の連携のことだ)と、「研究室内」の連携の両方だ。

「研究室同士」はいつのまにかお互いにバラバラになり、「研究室の中」もバラバラになって、人がお互いに分断された状態にある。

筆者の見方では、(ある程度強かった)研究組織が、様々な階層で分断されて、弱い個の集合へと向かって行ってしまっている。

分断を招いたもの

分断を招いている要因を2つ取り上げる。

分断要因1 予算の壁

おなじ組織内の研究室Aが大きな研究費を獲得したとする。その研究に参画していない研究室Bには、なんの利益もない。大きな予算を獲得した研究室は、共通で購入しても良いような機器を自前で購入するようになり、他の研究室や所属組織を頼る必要が減少する。研究室Bは研究室Aを助けるインセンティブは働かないし、逆もまた然りである。

現行のやり方の元では、大きな予算がついた研究室は他から独立、そして孤立する。

予算をつければ、研究が進むというのは間違いだ。予算の集中は、研究者の孤立を招き、組織力を低下させ、研究力を低下させる。

分断要因2. 業績の壁

例えば任期付きの研究員の場合、終了後の次のポストを獲得する活動を意識しなくてはならない。ポスト獲得には何が重要だと考えられているだろうか?これについては、応募書類に何を記述することが求められているかに左右されるが、重要視されるのは業績リストだ。となれば、論文に自分の名前が載ることはするが、そうでないことはしない、ということになる。

業績主義のもと、いくら良い技術を持っていても、それが業績(論文)に繋がらないなら、協力しないのが普通になりつつある。機械の使い方とか実験のコツは、研究遂行上重要であるにも関わらず、これを教えただけで共著にしてもらえるとは考えられていない。すなわち、研究上重要な技術や情報は、共著になる・ならないが壁となって、壁を超えては共有されない。

研究室Aの教授をA、所属員(学生かもしれないし、Aが採用しているポスドクかもしれない)をaとする。研究室Bの所属員bの研究の手助けをaがする場合はどんな場合だろうか?これはaとAの両方が、bが書く論文の共著になる場合に限られる。手助けの準備を始める時点から、aとAの両方が共著になることが保証されなくてはならない。

研究室同士は、軽い緊張状態にあり、Aがより多くの成果を出せば、Bはより肩身が狭くなる関係にある。だから共著にならないのだったら手助けはしない。aがAに黙って研究の手助けをしてaだけが論文に乗ると、Aは怒るだろう。

つまり、2つの研究室は、協力関係を容易には築けない関係にあり、その根底にあるのは業績の壁だ。

解決方法

2つの要因ごとに考える。

予算の壁による分断の解決方法

大きな研究費申請時には、同じ組織に属し、かつ地理的に近い位置(実験器具を持って歩いて数分で行ける程度の距離)を主たる活動場所とする研究者を、研究費の規模に応じた人数、近隣研究連携者とすることを義務化する。採択以降、近隣研究連携者には、一定の予算配分を行い、所有研究機器へのアクセスが相互に保証されるようにする。

「地理的に近い位置を主たる活動場所」にする研究者とするのは、集団間での実際に機器の貸し借り、日常の何気ない生活環境における情報交換が可能だからだ。メールででもzoomででも情報交換が可能だから離れていても大丈夫、必要があれば交互に行き来すれば良いというのは間違いだ。研究室Aと研究室B、それぞれ20人ずついるとして、AとBのトップが情報交換して伝わる情報量には限度がある。実際、研究室には役割分担があり、実際の技術を持っているのは実験台に向かっている助教ポスドクであったり学生であったりし、研究代表者が連絡を取っていれば2つの研究室が分断されていない状態になるものではない。

この制度を導入すれば、分断が回避されて多数の協力のもと、研究が進められるはずである。機器の重複購入が防がれ、ノウハウの蓄積も期待できるだろう。

業績の壁による分断の解決方法

現在、業績とは端的には論文リストのことであり、それ以外の項目は重要視されていないと考えられている。

業績の壁の問題は、現在の評価方法の不完全性に由来する問題であるとも言える。

論文リスト以外の評価項目が多数あること、実際にそれが考慮されることが、共通認識になれば良い。

具体的には、リサーチマップのようなウエブシステムを発展、充実させればよい。特に、組織への貢献活動、同組織に所属する他の所属員からの評判が反映されるようにできて、論文に名前が載った業績と同じように、論文に名前が乗らなかった貢献が評価されるようにすればよい。

学振や科研費などの申請書、人事の応募書類の記述事項にも注意が必要だ。現在の業績主義のあり方を決めているのは、これらの書類で求められている記述事項であってそれ以外ではないからだ。これらの様式の中で、「近隣研究室との連携および協力関係」を書くように求めたら、その方向に向かって皆が進み始めるだろう。

終わりに

分断されたそれぞれの研究者を、いかにすれば有機的に再結合させ、協調関係を生み出すことができるだろうか?

業績の壁問題の解決方法として、個人の業績評価のあり方の変更と充実を述べたが、筆者は、一歩進んで個人評価から組織評価へシフトすべきとの考えを持っているが、これについては別に論じたい。

また、連携/協調関係を失った研究室間には、緊張感が漂い、これに派生して3つの問題が生じてくると考えているが、これについては次回に論じたい。

日本の研究力低下の要因を考察する シリーズ3回目 擬似成果主義。成果期待主義?申請書主義?

はじめに

日本の研究力低下が言われている。研究費配分の問題など、様々な観点から議論がなされているが、本シリーズでは筆者が考える要因と解決策を考察する。

  1. シリーズ1回目 学振のPD研究室移動義務
  2. シリーズ2回目 科研費申請書が研究の技術的側面を軽視
  3. シリーズ3回目 擬似成果主義。成果期待主義?申請書主義?
  4. シリーズ4回目 研究組織と個々の研究者の分断問題
  5. シリーズ5回目 ディストピアに予想される3つの不都合
  6. シリーズ6回目 研究組織の組織不全と改善策
  7. シリーズ7回目 研究機器を研究者が購入できる制度
  8. 関連記事 第6期科学技術イノベーション基本計画によって大学など研究組織の任期制は廃止に向かうはず。

成果主義

本記事では研究現場における成果主義について考察し、生産性を高めるための改善策について提案する。

成果主義に期待されること

そもそも成果主義とは何か?なぜこれが導入されたのか?成果主義の目的は何か?

XX主義とはなんだろうか?XXを主な義とする、言い換えれば、XXを最も大事にするやり方、方針、と言ったところだろうか。

成果主義に期待されることは、個人の、大学などの組織の、そして国全体の、生産性を高めることであったはずだ。

研究において生産性とは成果をどれだけ生み出せるかということだ。成果は要するに、新しい発見に関しての、あるいは、新しい技術開発に関しての成果だ。

これらの成果を適切に評価し、研究費や給与などの待遇に反映させることで、さらなる新しい成果を生む好循環につなげること。これが成果主義に期待される効果だ。

現在の成果主義の問題点

しばしば「行き過ぎた成果主義」なる言葉を見ることがある。私に言わせれば、行き過ぎた成果主義などどこにもない。むしろ未成熟なところで成果主義が止まってしまっている。成果主義に関しては20年も前に、動きが止まってしまっている。

科研費の仕組みは成果主義であると考えられているが、科研費の仕組みは成果主義ではない。申請書(研究計画書)を書くが、それによって審査され、成果が出そうな研究に研究費が配分される仕組みだ。

成果を出しそうな研究者に研究費を配分するのと、成果を出した研究者に研究費を配分するのと、この2者は全く異なる。前者では、うまく行きそうに見えることを書けば書類が通ってしまうだろう。夢のような計画書、決して専門家ではない審査員が良さそうだ、と信じるような計画書を出せば、良いということになる。

これでは成果主義ではなくて成果期待主義だ。

もらった研究費に対して、報告書は書かなくてはならないが、成果を問われることはない。これのどこが成果主義なのだろうか?

科研費申請書の書き方講習などがあるが、これは日本の研究力を向上させる上で役立っているのだろうか?全員で申請書作成能力を向上させて、研究費を奪い合うことが、日本の研究力を向上させる??

研究者はこう考える。「大学などで昇進するには、外部から資金を調達しなくてはならない。そのためには良い申請書を書かなくてはならない。申請書が通りやすくなるためには成果が必要だ」と。ここでは成果は、申請書のためのものに成り下がっている。これは成果主義ではない。申請書主義だ。

大学などで人を採用するときに、成果はたくさんあるが外部資金をあまり取ってこない人と、成果はあまりないが外部資金をたくさん取ってくる人、どちらが現在好まれているだろうか?採用されるのはいうまでもなく後者だ。この状況は、日本の研究力を低下させる。このような状況になってしまったのは、成果主義が機能していないからだ。

問題のまとめ

成果主義成果主義と言いながら、実は成果主義ではない別の何か、成果期待主義とか申請書主義とでも呼ぶべき擬似成果主義が支配するようになってしまっている。これが日本の研究力低下の主要因の1つだと考察する。

解決方法

よりよい成果主義のあり方について、今しばらく議論を深める必要があるだろう。

現在の研究費配分は「成果主義」ではなく、「擬似成果主義」(「申請書主義」あるいは「期待成果主義」)と呼ぶべき方法でなされている。まずは、成果主義と擬似成果主義を、明確に異なるものとして、研究に関わるひとりひとりが認識することが重要だろう。

良い申請書を書くのを目指すのと、良い研究成果を出すのを目指すのと、どちらが大事か?

良い申請書10本と、良い論文1本はどちらが日本の研究力向上につながるのか?どっちに向いて努力すべきなのか?

成果主義自体は悪いものではない。成果主義の目的が「我々の生産性を高めること」であったことを皆が思い出すべきだ。今出回っているのは本来の成果主義ではない。

研究費配分が成果主義に則っていると、なぜか全員で思い込んでいるのではないか?みんなで目を覚まそう!

すばやい解決方法

例えば科研費の枠組みを大きく変更して、簡単な研究計画とこれまでの成果の記述欄に従って審査員が採点して、点数に応じて配分するようにすれば良い。

政治主導でビシッと本来の成果主義に則った研究費配分のあり方を決めてもらえば良い。読者の中に、政治家の先生はいませんか?

終わりに

成果主義が、成果主義として機能していない、という点を問題点として考察しました。

1点、気をつけたいのは、論文、論文言って、学生教育をおざなりにすることがあってはならないということです。教育を、成果主義の枠組みの中でどう適切に評価するのか、本当に、本当に気をつけなくてはならない問題だと思います。

日本の研究力低下の要因を考察する シリーズ2回目 科研費申請書が研究の技術的側面を軽視

はじめに

日本の研究力低下が言われている。研究費配分の問題など、様々な観点から議論がなされているが、本シリーズでは筆者が考える要因と解決策を考察する。

  1. シリーズ1回目 学振のPD研究室移動義務
  2. シリーズ2回目 科研費申請書が研究の技術的側面を軽視
  3. シリーズ3回目 擬似成果主義。成果期待主義?申請書主義?
  4. シリーズ4回目 研究組織と個々の研究者の分断問題
  5. シリーズ5回目 ディストピアに予想される3つの不都合
  6. シリーズ6回目 研究組織の組織不全と改善策
  7. シリーズ7回目 研究機器を研究者が購入できる制度
  8. 関連記事 第6期科学技術イノベーション基本計画によって大学など研究組織の任期制は廃止に向かうはず。

科研費の研究計画調書

今回は科学研究費補助金、いわゆる科研費の研究計画調書に着目したい。これを書いて応募すれば、審査されて、審査が通れば研究費がももらえる仕組みだ。研究計画調書には、研究目的と研究方法を記載する箇所があり、その冒頭には以下のように記されている。

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基盤Bの研究計画調書

ここで問題としたいのは「(3) 本研究で何をどのように、どこまで明らかにしようとするのか、」というところだ。

研究は2分類できる

研究は大きく2つに分けることができる。知識や知見を得ようとする研究、そして、技術を開発しようとする研究、だ。前者はScience、後者はTechnologyに属する研究だと言えるだろう。

どの論文(reviewは除く)を読んでも、論文について、新しい技術が何であるかと、新しい知識(発見)が何であるか、に分けてを論じることができる。

この2つは車輪の両輪だ。知識的側面が技術を作り出し、技術が知識的側面を作り出す。研究に必要なのは、この両方だ。

科研費の研究計画調書の問題点

科研費の計画調書の様式は、「科学(Science)」に偏っている。言い換えればこの計画調書では、「技術(Technology)」を軽視している。これは、「(3) 本研究で何をどのように、どこまで明らかにしようとするのか、」の文言からわかる。この記述項目では完全に「科学/知識」に属することを書かせようとしており、技術に関する研究をしようとした時に書くことができない。技術的な開発を主にした研究については、計画調書をうまく書くことができないのだ。

サンガー法やPCR法はノーベル賞を受賞した。これらは強烈なインパクトを与えたが、仮に現在サンガー法やPCR法がまだ開発されておらず、その着想を得たとしよう。これを現在の科研費の計画調書に落とし込むことができるだろうか?無理だ。「(3) 本研究で何をどのように、どこまで明らかにしようとするのか」が書けないのだ。

無理をすれば、「どのように塩基配列を決定すれば良いかを明らかにする」「どのようにDNAを増幅すれば良いかを明らかにする」ということになるだろうが、計画調書が研究の技術的側面をおろそかにしていることは間違いがない。

またさらに一歩踏み込めば、計画調書で、技術的進歩が何であるかを問う項目がない。このような項目がないために、技術開発の重要性が意識されない空気が醸成されてしまっている。

解決方法

一番良いのは、文部科学省の名称を変更することだ。文部科学技術省が良い。日本は科学技術立国だと言う。科学立国ではないのだ。

科学研究費補助金も科学技術研究費補助金、科技研費とすべきだ。

また研究計画調書での記載項目それぞれについて、科学的側面と技術的側面の両方に配慮した文言に変更すべきだ。

例えば「本研究で何をどのように、どこまで明らかにしようとするのか、あるいは、研究に関する技術を開発する場合はどのような技術を開発しようとするのか」とすればよい。

またさらに、技術的な進歩が見込まれることが評価されるように、「本研究で見込まれる技術的進歩があれば記載してください」との項目を新たに設けるべきだ。

終わりに

科研費は日本の研究の中核を担っている予算源です。科研費の申請書類が技術の発展を十分に考慮していないことが日本の研究力低下の一つの要因となっていると筆者は思っています。

本記事では、科研費の研究計画調書に目を向けてみました。コメントなど残していただけますと幸いです。そうだなと思ったら、拡散もお願いします。

日本の研究力低下の要因を考察する シリーズ1回目 学振のPD研究室移動義務

はじめに

日本の研究力低下が言われている。研究費配分の問題など、様々な観点から議論がなされているが、ここでは筆者が考える要因と解決策を考察する。

  1. シリーズ1回目 学振のPD研究室移動義務
  2. シリーズ2回目 科研費申請書が研究の技術的側面を軽視
  3. シリーズ3回目 擬似成果主義。成果期待主義?申請書主義?
  4. シリーズ4回目 研究組織と個々の研究者の分断問題
  5. シリーズ5回目 ディストピアに予想される3つの不都合
  6. シリーズ6回目 研究組織の組織不全と改善策
  7. シリーズ7回目 研究機器を研究者が購入できる制度
  8. 関連記事 第6期科学技術イノベーション基本計画によって大学など研究組織の任期制は廃止に向かうはず。

学振のPD研究室移動義務

学術振興会の研究員になることが、研究者を目指す若者が目指す第一歩だ。研究員にはいくつか区分があるが、博士課程の1年目から採用されるDC1、2年目あるいは3年目から採用されるDC2、博士の学位取得後に採用されるPDが主だった区分だ。

ここで問題としたいのは、PDの区分だ。

募集要項で「研究に従事する研究室が大学院在学当時の所属研究室(出身研究室)以外の研究室であること」となっている。 ここに学術振興会による文書がある

この「移動義務」については「学位取得後の研究活動の初期に、出身研究室以外の異なる環境において研究することは、研究の視野を広げ新たな着想を得るために、非常に重要なことです。」と書かれている。これには一理ある。ただし現状のような運用が研究力低下の一因となっていると考えられる。

移動義務の問題点

学位を取得するということは、おそらく少なくとも3年、あるいは5年、6年と、出身研究室にいたはずなのだ。通常は2月に博士論文審査会があって、3月末に卒業する。一般的にこの時間では短すぎて、残ってしまったデータを論文にするには十分ではない。多くの場合、あともう少しで論文が書ける、というネタをいくつも残して慌ただしく研究室を去ってしまうことになる。3月末に去って、4月に新人が入る。これでは技術継承の機会も設け難い。

出身研究室の指導教員からすれば、PDをもらえるような人は基本的には優秀で、そのような優秀な人が学位取得後すぐに研究室を出て行く。せっかく育てた戦力が、優秀なほどPDとしていなくなる可能性が高まる。つまりこの移動義務は学生教育のインセンティブを損なっている側面もある。

申請時には、出身研究室で長らく行なってきた研究に沿った内容で申請することがほとんどだろう。でなければ、生き生きとした構想を申請書に書くのは難しい。

したがって受け入れ先研究室では、それまでだれも行なっていなかった研究を、PD研究員が持ち込んで行うことになる。これはいろいろな問題を生む。論文にするときのオーサーシップの問題、受け入れ先研究室の他のテーマとの相性の問題、などだ。ポスドクに持ち込みのテーマで研究することを許す例は探せばあるかもしれないが、ポスドクによるテーマ持ち込みを前提にした制度など欧米などどこを見回してもないのでないか?

受け入れ先研究室がOKしたのだから良い、と考えるのは間違えている。受け入れをOKしたからといって日本の研究力低下の要因にならないわけではないからだ。

解決策

PDの採用期間のうち最大半年程度から1年間を出身研究室で研究することを認め、この期間経過後に、受け入れ先研究室のテーマを考慮した研究計画書を改めて提出させ、学振採用申請書の内容に関わらずに自由に研究することを認めるようにする。 学位取得後半年から1年あれば、いくつかの仕事を論文にするのに十分だ。PD研究員は、限られた時間で残ってしまったデータでなるべく論文にできるように努力するだろうし、出身研究室の指導教員も、論文化を強力にサポートするだろう。新人への技術継承を図ることも可能だ。受け入れ先研究室は、希望の研究テーマを進めることができる。

終わりに

本記事では、日本の科学力低下の原因の中でもあまり着目されることがない学振のPD研究室移動義務に目を向けてみました。コメントなど残していただけますと幸いです。なるほどね、と思ったら拡散もお願いします。

新型コロナウィルスにワクチンは有効か?

はじめに

新型コロナウィルスにワクチンは有効だろうか?考察する。

お断り

本記事は推測にもとづき、科学的エビデンスには必ずしももとづきません。あくまでも科学的見地にもとづく筆者の予想です。

ウィルスは変異する

新型コロナウィルスは素早く変異する種類のようだ。現在地球上に存在するほとんどのウィルスはすでに最初に武漢で報告されたウィルスとは、ゲノム配列が異なっているはずである。

ウィルスが素早く変異する性質は、多様なウィルス変異体群を生む。すでにゲノム配列が異なる100万通りのウィルスが生じていてもおかしくない(現在感染者数3000万人、日経新聞ウエブページ)。

中には、表面抗原が変化した変異体が存在しているはずだ。ワクチンは、このような変異体には効果がない。

人間の抗体が、病原体の表面にある抗原を認識する以上、表面抗原の変化は、記憶免疫を無効にする。

悲観的見方

表面抗原が変化したコロナウィルスはどうなるだろうか?これは人類にとって未知のウィルスと同じように振る舞う。

武漢で発生したウィルスの再来だ。新型コロナウィルスへの感染経験は無効になり、すでに新型コロナウィルスにかかった人も、もう一度同じ症状を経験することになるだろう。現在の新型コロナウィルスへのワクチンを接種した人も同様だ。

楽観的見方

新型コロナウィルスは弱毒するはずである。弱毒化が進行するスピードにもよるが、十分素早く弱度化するなら、ワクチンには意味がない。放っておいてもすぐ治る感染症へとそのうち変化するはずだ。

結論

筆者は楽観的見方をとっている。この見方からすれば、ワクチンの効果は限定的だ。医療関係者や高リスクの人などの喫緊の要を満たすのには良いだろう。ただし国民全員にワクチンが行き渡る頃には、ウィルスは十分弱毒化しており、ワクチン接種の意義が失われているだろう。

ただし、すみやかには弱毒化しない可能性があるので、表面抗原が変わった変異体の発生と蔓延に気をつけ、「ワクチンができれば安心」という考え方に注意を促すべきだ。