woSciTecの考察

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「強く示唆される」とは何か?

「示唆される」という表現

研究では「示唆される」という言葉が用いられる。英語での話になってしまうが、indicateという言葉がこの語に該当し、showとかdemonstrateとかより一段 下の表現だ。それほどはっきり示す証拠があるわけではないが、それなりに証拠がある場合に使う表現だ。これよりも弱い表現はsuggestであろう。

「示唆される」と「強く示唆される」の使い分けは?

さておき、学会などで「強く示唆される」という表現を聞くことがある。indicateより強く、showより弱いということだろう。では、「示唆される」と「強く示唆される」はどのような意味の違いがあるだろうか? 筆者の考えでは、この2者には意味上の違いがない。「XXが〇〇であることが示唆された」と「XXが〇〇であることが強く示唆された」は、XXについては同じことを言っている。

もし「強く示唆された」という表現を使った人に、「先程、「強く示唆された」とおっしゃいましたが、示唆された程度のデータだったと思います。強く示唆された、とおっしゃったのは示唆された以上に何か強い根拠があるということでしょうか?」と聞いたらどうなるだろうか?「めんどくせ〜」と思われることは間違いないが、答えに窮するだろう。

では意味がないのか?

「示唆される」と「強く示唆される」が同じ意味であるなら、「強く」という修辞には意味がない、との意見もある。確かにそうかもしれない。 ところが、この修辞には一定の役割がある。それは「発表者が強く主張したいと思っているところだ」ということを聞き手が読み取ることができるところにある。特に根拠が無いはずなのに「強く」という修辞を用いている以上、情緒的な何かが働いている場所であるに違いないのだ。発表者が、強く主張したかった何かの命題、それを明確には示すことができなかったけれどきっとそうに違いにないと強く信じているポイントに「強く示唆された」という表現が登場するのだ。

この意味で、「強く」という修辞には、発表者の思いを、聴講者に伝える役割を持っている、ということができる。決して無意味な修辞ではないと、筆者は思っている。