はじめに
日本の研究力向上を達成する方法を模索するシリーズ7回目です。
- シリーズ1回目 学振のPD研究室移動義務
- シリーズ2回目 科研費申請書が研究の技術的側面を軽視
- シリーズ3回目 擬似成果主義。成果期待主義?申請書主義?
- シリーズ4回目 研究組織と個々の研究者の分断問題
- シリーズ5回目 ディストピアに予想される3つの不都合
- シリーズ6回目 研究組織の組織不全と改善策
- シリーズ7回目 研究機器を研究者が購入できる制度
- 関連記事 第6期科学技術イノベーション基本計画によって大学など研究組織の任期制は廃止に向かうはず。
今回は、研究機器を研究者が購入できる制度についてです。
日本の研究費の制度
日本の研究費配分制度では、研究課題が採択されると、直接経費が研究者に支給される。
間接経費も支給されるが、こちらは所属機関に配分される(一部が研究者に戻される制度を持っている機関もある)。
この直接経費を使って、研究者は研究機器を購入できる。
これは日本独自の制度だ。
日本の研究力低下の諸悪の根源
現在当たり前のようになっているこの制度であるが、研究機器を研究者が購入できる制度は日本の研究の根幹を狂わせている、諸悪の根源のような制度だ。
研究の現場にある色々な問題をたどっていくと、この制度へと行き着く。
なお、この制度は少なくとも30年(おそらくもっと長く)は遡ることができる制度であり、現在とられている科学研究政策の多くは、この制度がもたらした悪影響に対する対症療法である。
この制度は研究者・研究室を過度に独立させる
研究者が研究機器を購入できる制度は、研究者、およびその所属研究室を、他から過度に独立させる作用を持っている。
研究費がもらえれば、機器を買い、消耗品を買って研究をすることができる。つまり、他の研究室と関わることなく研究をすることができる。
この制度のもと、すくなくとも30年前には、例えばある研究科に属する多数の研究室は、研究上、お互いに助け合う関係が希薄となっていた。
この制度的背景のもと、業績主義/個人主義を強く持ち込んだために、研究者同士がお互いに助けあう関係がますます弱くなり、研究者同士が激しく分断してしまった。
現在の分断問題の原因は、研究者が機器を購入できる制度にある。
スペシャリストが育たない
独立していることの副作用として、研究者は、機器のオペレーションを始め、あらゆることをしなくてはならなくなった。
これらは、研究計画の立案、予算獲得、実験の実施、データの取りまとめと、論文作成などである。
このことは、研究者の専門性が育たないこととなった。これは、ジェネラリストはいるけれどもスペシャリストが育たない、などと表現される状態である。
アクティビティが低下した教員の発生
個々人が強く独立している環境下では、研究に関するあらゆることが全てできないと論文が書けないことになる。中には何かが十分にうまくできず、アクティビティが低下した教員が発生する要因となった。
ここで注意を促したいのは、ある研究室の教員には、他の研究室にいるアクティビティが低下してしまった研究者を、助けるインセンティブが働かないことである。
(任期制導入は、アクティビティが低下した教員をなくすための対症療法である)。
弱小研究室が国内に分散した状態の発生(研究拠点形成不全)
研究組織において新たに教授を採用する人事において、すでにその組織内にある研究室と、協調的に研究ができるかどうかは、重要視されない。
新しく迎えいれる人は、機器を自分で持ってくるか自前で購入するだろうし、そもそも研究室間はお互いに独立しているので、どんな人が採用されようが、すでにその組織に属している他の研究室には特段に興味がない。
運営費交付金が減らされ、h指標などが重要視される背景のもと、間接経費を多く取得し、大学の指標値向上に寄与する人が採用されるようになってきており、ますます既存の研究室との連携を考慮しない人事が行われている。
このようにして、日本全国に、お互いに関連が薄い研究室が寄せ集まった大学など研究組織が多数存在することになった。
これは、拠点形成不全とでも呼ぶべき状態であるが、基本的にはそれほど研究力が高くない研究室が、日本中にバラバラに存在し、
お互いに似たり寄ったりの研究をしている状況を生み出している。
(選択と集中政策は、弱小研究室国内分散状態を改善するための対症療法である)。
重複機器死蔵問題(研究費の非効率的使用の問題)
研究機器は、研究課題の遂行に差し障らない範囲で、他研究者に使用させることもできるが、競争主義のもとで研究者は分断されており、お互いを助けるインセンティブが働かない状況にある。
このため、購入機器は、購入者の所属研究室内部で専用されるのが常態となっている(機器囲い込み)。
また各研究室がどのような研究機器を保持しているかを、同じ研究組織の他研究室に公開する仕組みがなく、購入しようとしている機器が、同じ研究組織の他研究室にあるかどうかを知ることができないことが通常である。
加えて、研究者間が分断されて研究室間が疎遠な関係になってしまっている現在の状況のもと、仮に他研究室にあることが知っていたとしてもそれを借りるよりは、新しく自前で購入するインセンティブが働く現状である。
これらを背景に、必ずしも使用頻度が高くない機器が、同じ研究組織の複数研究室に重複して設置されていることも普通に見られる(機器重複)。
さらに、特に取り扱いに高度な知識、経験を要する機器については、安定的な財源不足によって機器取扱者を研究室単位では雇用できない背景のもと、効率的な運用ができず、時間の経過とともに死蔵されてしまう例、限られた回数の使用で一定の成果が得られ、使用目的がなくなって使用されなくなる例、が多々見受けられる(機器死蔵問題)。
このように、研究者が機器を購入できる制度のもと、研究費があちこちで高額機器の購入に使用されて、無駄になっている。
(機器共用の促進政策は、分断によって弱小化した研究グループが研究できるようにするための対症療法である)。
補足説明
「お互いに無関心な研究室が研究組織内に乱立してしまうのは、研究者が機器を購入可能な仕組みによる」ということについては補足説明が必要だ。
我々はもう30年?にもわたって、この状態に慣らされていてしまっていて、研究室がお互いに独立している、のが当たり前になってしまっている。
ここでは、「研究機器を研究者が購入できず、研究機関が購入する制度」で何が起きるかを考える。研究機関で機器を購入するときには、そこに所属している研究者どうしで協議して、購入する機器を選定することになる。
この時、多くの人が欲する機器が納入されるであろうこと、この時、その機器を希望する研究者たちの成果が考慮されることは想像に難くない(むしろ次の効果を引き出すためにそうなっているべきだ)。となると、同じような研究機器を使う研究者たちは、お互いに助け合うようになる。次の、望む機器を手に入れられるかに、お互いの成果が重要になるからだ。
また人事ではどうか?採用される側からすると、応募する時点で、必要な研究機器が既にある研究組織にしか移動することはない。採用側からすると、似たような機器を使って、一緒に仕事をし、成果を出してくれる人を採用するインセンティブが働くし、着任後も、成果が出るように協力するはずである。
つまり、研究機関でしか機器を購入できない仕組み、機器の購入に人数と成果を必要にする仕組みにより、研究機器を中心として、似た研究を実施する優れた研究者が集まってくる効果が自然と働くのだ。
これが米国をはじめ、ヨーロッパ各国で、強い研究力を持った研究所が自発的にたくさん生まれる背景にある(日本では無理やり資金を投入して「拠点形成」を行なっているが、出来方が違うものを模倣しても機能しないだろうし、資金投入をやめたらバラバラに戻るだろう)。
さらに、業績を組織単位でのみ評価するなど、さらに異なる評価体系を用いれば、組織に必要とされるのは、業績がある人ではなくて、特定の能力が高い人ということになり、スペシャリストが育つ背景となる。
終わりに
「研究者が研究機器を購入できる制度」があらゆる点で悪影響を与えている。実は、この制度は日本独自の誤った制度である。
この制度が、いかに広範に悪影響を与えているかが認知されることで、この制度撤廃へのムーブメントが起こることを期待している。