はじめに
日本の研究力が低下しているといいます。
この問題を起こしている原因の1つは、研究の「質」よりも「量」を求めることにつながるたくさんの要因ががあることによります。
この問題は、明らかな問題であり、改善も容易です。
この記事では、この問題を取り上げ、改善策を提示します。
質よりも量
研究の質よりも量が重視されている。
質よりも量を求めるように、研究現場を駆り立ててしまう要因はいくつもある。
科研費の実績報告書
代表例として、科研費の実績報告書を取り上げる。実績報告書には、研究課題実施期間に発表した論文や学会発表を全て記入する欄がある。
記述をするのは、論文のタイトル、著者名、ジャーナル名、査読の有無であり、内容に踏み込んで記述することは求められない。
この欄が寂しいと、しっかり研究をしていなかったと思われるのではないか?なるべくたくさんの論文を記入できると、見栄えが良いのではないか?こう考えるのが、普通の研究者だ。ここで求められているのは、論文の質や学会発表の質ではなくて量だ。
どんないい加減な内容の学会発表でも、無名ジャーナルに掲載されたサラミ論文でも良い。とにかく、この欄に、多数の成果を書くことが重要。研究者はそのように考えるように仕向けられている。
その他の例
成果の内容や質に踏み込まずに、件数を求めるケースは他にも多数ある。人事応募書類では、実績リストが求められることが通常である。
また、研究機関が、個人評価をする際に、学会発表件数、論文発表件数を記述することを求めることも普通に行われている。
奨学金返還免除を受けられる学生を選出するのに、学会発表件数や論文発表件数から算出したスコアを用いることも広く行われているだろう。
学振の申請書も同じように、学会発表件数や発表論文数が求められている(すくなくとも応募者は、ほぼ例外なく件数の多寡を気にしている)。
このように、研究の内容、質には踏み込まないで件数を求められることが年に何度もあり、研究者は、論文の数と発表の数を追求するように常に動機付けられている。
改善方法
まずは、上に挙げたような各様式で、件数を求めることの害悪が十分認識されることが肝要だ。認識が広まれば、量から質への転換が図られることになる(本記事が拡散されると良い)。
具体的には、上記のような成果記述欄に、記述を求める論文や学会発表の数に上限を定めれば良い。
例えば、科研費実績報告書では、報告する論文の数に上限を設ければ良い。例えば、論文記述欄の注釈に、「本研究課題の成果に関わる発表論文を、最大2件記述して下さい。またその成果の意義の詳細を記述してください。成果の意義については、ピアレビューを受けます」とすれば良い(実際にピアレビューを実施する)。こうすれば、質の高い研究を、少数の論文にする方向に、研究者を動機づけることができる。
学会発表についても、件数を求めるのではなく、例えば「学会発表を行なった場合には、年度ごとに代表する1件を記述してください」などととすれば良い。
個人評価などでも同様に、件数を求めないように配慮する。年に1回程度学会発表していれば十分だろう(これはあくまでも義務といった側面を持っており、たくさん発表することを妨げるものではない。たくさん発表したければすれば良いし、本来学会発表は義務でするものではない)。
人事の応募要綱を作成する場合にも注意が必要だ。「過去の研究成果について、代表的なもの最大5件について、それぞれその意義を説明してください。」などとし、「業績リスト」を求めないようにする必要がある(求める場合は、それぞれの業績内容の質について深く問うなどして、数を良しとする悪い風潮を増長しないように十分配慮をすべきだ)。
研究機関評価がどのようになされているのか、残念ながら筆者はよく知らない。大学改革支援・学位授与機構が行なっているのだとは思うが、各研究機関の、論文総数に基づく評価を一切やめ、代わりに「論文最大10報」のように数を指定して、研究成果を提出させて評価すれば良い。
例えば、各旧帝大から論文30報といった数だ。数を絞る代わりに、成果の内容の詳細な説明を求め、これに対する匿名および実名のピアレビューを公開で実施する。これにより、各研究機関は論文の総数ではなく、質が高い少数の論文を追求することになる。いうまでもなく、ピアレビューはITC技術が発達した今日、容易に実施できる。海外の研究者にも協力を仰げば良い。
見込まれる良い効果
上記の研究機関評価方法は、量から質への転換を促す効果があるだけではなく、他にも良い効果を持つのでここに記しておきたい。
それは、別記事にした「組織内利害非共有問題」を解決する効果を持っているということだ。
研究機関に、5つの学部があるとしたら、研究機関はどのように提出する10報を選出するだろうか?おそらく各学部に4報程度ずつ提出させて、その中から、質を吟味して10報を選ぶことになるだろう。では各学部ではどうだろうか?学部所属員に対して、募集を行い、提出された論文の内容を吟味して、良いものを選抜することになる。
この時、研学部にとって、研究機関本部に提出する候補論文の質が高いことが重要になる。学部から報告する論文の数だけが重要なら、学部内でお互いに助け合う必要は必ずしもないし、学部内の研究者が研究内容をお互いに知らなくても良い。
一方で、成果の質が評価されて運営費交付金に反映されるのであれば、学部内でお互いに協力しあって研究の質の向上を図り始めるはずだ。すなわち、お互いに質が高い論文を研究科から出すという目的が共有され、組織成員の利害が共有されることとなる。
さらに、どの論文成果を本部に報告するかについては、会議を開いて、研究の質の吟味をすることになる。このプロセスにより、お互いがお互いの研究をよく知るようになり、お互いを助け合うための前提条件が整う。
終わりに
「件数を問う一方で、内容に踏み込まない」という悪いやり方が、どれほどの悪影響を持っているのか、ほとんど顧みられずに漫然と実施されています。
最近では、「top 10%論文数」なるものが求めるられるようになってきてはいるものの、top 10%は被引用数に基づくもので、質を評価しようというものではありません(優れた研究ではなく、取り組んでいる研究者が多い研究分野の研究)。
数重視のやり方をあらためて、質重視のやり方に改める必要があり、まずは、この問題(研究の量質問題)が知られるようになる必要があります。
「質を問わずに数を問う」ことの害悪が理解され、少数の成果の質をしっかりと評価する方式への転換が必要です。
P.S. 「成果の質を問わずに数を問うことに反対する研究者の会」(仮称)を発足してはどうだろうか?この記事の読者の中に、会の設立運営などをしていただける方がいらしたら是非立ち上げていただきたい。すでに誰かが立ち上げているかもしれないので、まずはこの仮称でググってみていただきたい。