はじめに
日本の研究力を向上するにはどうしたら良いでしょうか?
- シリーズ1回目 学振のPD研究室移動義務
- シリーズ2回目 科研費申請書が研究の技術的側面を軽視
- シリーズ3回目 擬似成果主義。成果期待主義?申請書主義?
- シリーズ4回目 研究組織と個々の研究者の分断問題
- シリーズ5回目 ディストピアに予想される3つの不都合
- シリーズ6回目 研究組織の組織不全と改善策
- シリーズ7回目 研究機器を研究者が購入できる制度
- 関連記事 第6期科学技術イノベーション基本計画によって大学など研究組織の任期制は廃止に向かうはず。
シリーズ第4回 「研究組織と個々の研究者の分断問題」 では「予算の壁」と「業績の壁」によって、協調関係のある組織から、弱い個の集合へと向かって行ってしまっているという見方について述べました。
今回は、連携/協調関係を失った研究室間に漂う緊張感から、派生してくる3つの問題について述べます。
解決策については、シリーズ第4回に既に述べていますが、さらに次回でも述べる予定です。
ディストピア
問題点を明確にするため、現在の状態がもう少し続いて、かなり悪くなってしまった世界「ディストピア」を考えてみたい。
ディストピアでは、組織の所属員が、各々の利益が最大限になるように振る舞う。予算が獲得、あるいは、業績リストが賑やかになることが期待できることはするがそれ以外はしない。
それぞれの研究室は、それぞれの研究室の業績が最大になるように行動する。隣の研究室を助けるのは、自分の研究室がそれによって利益が期待できるときだけだ。共同研究も、論文発表時にお互いに著者になる前提が必要だ。
また、各研究室間は、お互いに競争関係にある。他の研究室の成功(素晴らしい研究成果)は、組織の中での自らの立場を危うくするので望ましくない。
ディストピアの3つの不都合
研究組織に、30ほどの研究室があり、すっかりディストピア状態になってしまうと、以下の3つの不都合が生じる。他にもあるかもしれないが、現在筆者が思いつくのは以下の3つだ。
不都合その1 教育
授業には、多くの場合多数の研究室の学生が参加する。もし授業担当教員だけが保持している重要なテクニックについてつまびらかに話したらどうか?これは他の研究室の業績向上に貢献する利他的行為となる。つまりディストピアでは、授業内容は重要なものを含まないものへと変わる。
不都合その2 共通機器
ディストピアでは研究機器の貸し借りも容易ではない。1つ1つの研究室が、必要な機器全てを一式揃える必要がある。大学のいくつかの研究室を訪問すれば、月に1度使われるかどうかの機器があちこちにあるのを目にするだろう。
なぜこのような状況になるのか?1000万円する機器を購入したとする。これを他の研究室の学生に使わせた場合に、それは自分の業績になるのだろうか?多くのジャーナルの規定で、機器を貸しただけでは著者になる資格はないとされている。ともあれ使用者に、著者に加えることを求めることもできるだろうが、代わりに悪評が立つ。業績はいっぱいあるようだが、機器を貸した程度の論文が大多数なのではないか?などと思われでもしたら元も子もない。
かくして、ちょっと機器を貸す、という行為はとても難しいものとなる。研究室の中でさえ、機器の共用ができなくなる状況ですら起こりうる。例えば利害を共有していない二人の助教は協力し合えない。
研究機器は高額であり、ディストピアでは多くの研究費が必要となる。現在の日本のような十分な予算がない環境下では、研究力が低下してしまう。
不都合その3 人事
ディストピアでは教授人事が適正になされない。准教授人事までは、教授が研究室の業績向上に最も繋がると信じる人を選べば良いのだから問題がない。問題は、教授(利益主体の代表である)を選ぶ場合だ。研究室はお互いに競争している関係だ。このような中でどのような人物が選ばれるだろうか?
おそらく数人から10人程度の教授で、選考委員会を作ってこのなかで選考を行う。選考委員会ではどのような人物を選ぶだろうか?優れた業績をたくさん出している人は好まれない。採用されれば、競争関係になるのだから当然だ。一方で、皆が使える予算を引っ張ってきてくれる人は歓迎だ。運営費交付金を削られて運営が厳しくなる中、外部資金特に、資金獲得者ではなく組織が使用できる予算(間接経費)を多くとってこられる人は歓迎される。これに加えて選考委員は、自身が昔から知る友人を採用するだろう。友人であれば競争関係であっても面罵されることはないに違いない。若い人も良い。年の差が十分にあれば、力関係で優位を保てる公算が高いからだ。
つまり、素晴らしい業績を持った人や研究能力が高い人は好まれない。表向きの理由は、若くて長く働いてくれそうだからとか、若手にチャンスを、とか言うだろうが、結局のところ組織が発展することを重視して選ぶわけではなく、むしろ逆の選択をすることになる。何年か立って業績がほとんど出なければ、選考委員は「期待はずれであった」と言えば済む(実は期待通り)。
つまり、能力がある人が選ばれるのではなく、選考委員と比べて競争力がない人、あるいは、選考委員のお友達、が選ばれることになる。人事の不都合は、負のスパイラルを招く(このようにして選ばれた能力が不足した教授が、さらに能力が不足した教授を選ぶようになる)。
終わりに
今回はディストピアを仮定して、ディストピアにおける不都合について述べました。
現在どこまでディストピア化しているのか、研究機関によって異なるでしょうが、3つの不都合を肌で感じている人もいるかもしれません。
これらの問題は、個人主義の弊害であり、個人主義の良いところを残しつつ、組織評価の枠組みを考え直すことで、「修正個人主義」に向かうのが良いのではないかと考えています。
これについてのアイデアは次回で述べます。