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日本の研究力低下の要因を考察する シリーズ3回目 擬似成果主義。成果期待主義?申請書主義?

はじめに

日本の研究力低下が言われている。研究費配分の問題など、様々な観点から議論がなされているが、本シリーズでは筆者が考える要因と解決策を考察する。

  1. シリーズ1回目 学振のPD研究室移動義務
  2. シリーズ2回目 科研費申請書が研究の技術的側面を軽視
  3. シリーズ3回目 擬似成果主義。成果期待主義?申請書主義?
  4. シリーズ4回目 研究組織と個々の研究者の分断問題
  5. シリーズ5回目 ディストピアに予想される3つの不都合
  6. シリーズ6回目 研究組織の組織不全と改善策
  7. シリーズ7回目 研究機器を研究者が購入できる制度
  8. 関連記事 第6期科学技術イノベーション基本計画によって大学など研究組織の任期制は廃止に向かうはず。

成果主義

本記事では研究現場における成果主義について考察し、生産性を高めるための改善策について提案する。

成果主義に期待されること

そもそも成果主義とは何か?なぜこれが導入されたのか?成果主義の目的は何か?

XX主義とはなんだろうか?XXを主な義とする、言い換えれば、XXを最も大事にするやり方、方針、と言ったところだろうか。

成果主義に期待されることは、個人の、大学などの組織の、そして国全体の、生産性を高めることであったはずだ。

研究において生産性とは成果をどれだけ生み出せるかということだ。成果は要するに、新しい発見に関しての、あるいは、新しい技術開発に関しての成果だ。

これらの成果を適切に評価し、研究費や給与などの待遇に反映させることで、さらなる新しい成果を生む好循環につなげること。これが成果主義に期待される効果だ。

現在の成果主義の問題点

しばしば「行き過ぎた成果主義」なる言葉を見ることがある。私に言わせれば、行き過ぎた成果主義などどこにもない。むしろ未成熟なところで成果主義が止まってしまっている。成果主義に関しては20年も前に、動きが止まってしまっている。

科研費の仕組みは成果主義であると考えられているが、科研費の仕組みは成果主義ではない。申請書(研究計画書)を書くが、それによって審査され、成果が出そうな研究に研究費が配分される仕組みだ。

成果を出しそうな研究者に研究費を配分するのと、成果を出した研究者に研究費を配分するのと、この2者は全く異なる。前者では、うまく行きそうに見えることを書けば書類が通ってしまうだろう。夢のような計画書、決して専門家ではない審査員が良さそうだ、と信じるような計画書を出せば、良いということになる。

これでは成果主義ではなくて成果期待主義だ。

もらった研究費に対して、報告書は書かなくてはならないが、成果を問われることはない。これのどこが成果主義なのだろうか?

科研費申請書の書き方講習などがあるが、これは日本の研究力を向上させる上で役立っているのだろうか?全員で申請書作成能力を向上させて、研究費を奪い合うことが、日本の研究力を向上させる??

研究者はこう考える。「大学などで昇進するには、外部から資金を調達しなくてはならない。そのためには良い申請書を書かなくてはならない。申請書が通りやすくなるためには成果が必要だ」と。ここでは成果は、申請書のためのものに成り下がっている。これは成果主義ではない。申請書主義だ。

大学などで人を採用するときに、成果はたくさんあるが外部資金をあまり取ってこない人と、成果はあまりないが外部資金をたくさん取ってくる人、どちらが現在好まれているだろうか?採用されるのはいうまでもなく後者だ。この状況は、日本の研究力を低下させる。このような状況になってしまったのは、成果主義が機能していないからだ。

問題のまとめ

成果主義成果主義と言いながら、実は成果主義ではない別の何か、成果期待主義とか申請書主義とでも呼ぶべき擬似成果主義が支配するようになってしまっている。これが日本の研究力低下の主要因の1つだと考察する。

解決方法

よりよい成果主義のあり方について、今しばらく議論を深める必要があるだろう。

現在の研究費配分は「成果主義」ではなく、「擬似成果主義」(「申請書主義」あるいは「期待成果主義」)と呼ぶべき方法でなされている。まずは、成果主義と擬似成果主義を、明確に異なるものとして、研究に関わるひとりひとりが認識することが重要だろう。

良い申請書を書くのを目指すのと、良い研究成果を出すのを目指すのと、どちらが大事か?

良い申請書10本と、良い論文1本はどちらが日本の研究力向上につながるのか?どっちに向いて努力すべきなのか?

成果主義自体は悪いものではない。成果主義の目的が「我々の生産性を高めること」であったことを皆が思い出すべきだ。今出回っているのは本来の成果主義ではない。

研究費配分が成果主義に則っていると、なぜか全員で思い込んでいるのではないか?みんなで目を覚まそう!

すばやい解決方法

例えば科研費の枠組みを大きく変更して、簡単な研究計画とこれまでの成果の記述欄に従って審査員が採点して、点数に応じて配分するようにすれば良い。

政治主導でビシッと本来の成果主義に則った研究費配分のあり方を決めてもらえば良い。読者の中に、政治家の先生はいませんか?

終わりに

成果主義が、成果主義として機能していない、という点を問題点として考察しました。

1点、気をつけたいのは、論文、論文言って、学生教育をおざなりにすることがあってはならないということです。教育を、成果主義の枠組みの中でどう適切に評価するのか、本当に、本当に気をつけなくてはならない問題だと思います。