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日本の研究力低下の要因を考察する シリーズ1回目 学振のPD研究室移動義務

はじめに

日本の研究力低下が言われている。研究費配分の問題など、様々な観点から議論がなされているが、ここでは筆者が考える要因と解決策を考察する。

  1. シリーズ1回目 学振のPD研究室移動義務
  2. シリーズ2回目 科研費申請書が研究の技術的側面を軽視
  3. シリーズ3回目 擬似成果主義。成果期待主義?申請書主義?
  4. シリーズ4回目 研究組織と個々の研究者の分断問題
  5. シリーズ5回目 ディストピアに予想される3つの不都合
  6. シリーズ6回目 研究組織の組織不全と改善策
  7. シリーズ7回目 研究機器を研究者が購入できる制度
  8. 関連記事 第6期科学技術イノベーション基本計画によって大学など研究組織の任期制は廃止に向かうはず。

学振のPD研究室移動義務

学術振興会の研究員になることが、研究者を目指す若者が目指す第一歩だ。研究員にはいくつか区分があるが、博士課程の1年目から採用されるDC1、2年目あるいは3年目から採用されるDC2、博士の学位取得後に採用されるPDが主だった区分だ。

ここで問題としたいのは、PDの区分だ。

募集要項で「研究に従事する研究室が大学院在学当時の所属研究室(出身研究室)以外の研究室であること」となっている。 ここに学術振興会による文書がある

この「移動義務」については「学位取得後の研究活動の初期に、出身研究室以外の異なる環境において研究することは、研究の視野を広げ新たな着想を得るために、非常に重要なことです。」と書かれている。これには一理ある。ただし現状のような運用が研究力低下の一因となっていると考えられる。

移動義務の問題点

学位を取得するということは、おそらく少なくとも3年、あるいは5年、6年と、出身研究室にいたはずなのだ。通常は2月に博士論文審査会があって、3月末に卒業する。一般的にこの時間では短すぎて、残ってしまったデータを論文にするには十分ではない。多くの場合、あともう少しで論文が書ける、というネタをいくつも残して慌ただしく研究室を去ってしまうことになる。3月末に去って、4月に新人が入る。これでは技術継承の機会も設け難い。

出身研究室の指導教員からすれば、PDをもらえるような人は基本的には優秀で、そのような優秀な人が学位取得後すぐに研究室を出て行く。せっかく育てた戦力が、優秀なほどPDとしていなくなる可能性が高まる。つまりこの移動義務は学生教育のインセンティブを損なっている側面もある。

申請時には、出身研究室で長らく行なってきた研究に沿った内容で申請することがほとんどだろう。でなければ、生き生きとした構想を申請書に書くのは難しい。

したがって受け入れ先研究室では、それまでだれも行なっていなかった研究を、PD研究員が持ち込んで行うことになる。これはいろいろな問題を生む。論文にするときのオーサーシップの問題、受け入れ先研究室の他のテーマとの相性の問題、などだ。ポスドクに持ち込みのテーマで研究することを許す例は探せばあるかもしれないが、ポスドクによるテーマ持ち込みを前提にした制度など欧米などどこを見回してもないのでないか?

受け入れ先研究室がOKしたのだから良い、と考えるのは間違えている。受け入れをOKしたからといって日本の研究力低下の要因にならないわけではないからだ。

解決策

PDの採用期間のうち最大半年程度から1年間を出身研究室で研究することを認め、この期間経過後に、受け入れ先研究室のテーマを考慮した研究計画書を改めて提出させ、学振採用申請書の内容に関わらずに自由に研究することを認めるようにする。 学位取得後半年から1年あれば、いくつかの仕事を論文にするのに十分だ。PD研究員は、限られた時間で残ってしまったデータでなるべく論文にできるように努力するだろうし、出身研究室の指導教員も、論文化を強力にサポートするだろう。新人への技術継承を図ることも可能だ。受け入れ先研究室は、希望の研究テーマを進めることができる。

終わりに

本記事では、日本の科学力低下の原因の中でもあまり着目されることがない学振のPD研究室移動義務に目を向けてみました。コメントなど残していただけますと幸いです。なるほどね、と思ったら拡散もお願いします。