woSciTecの考察

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「資化」という言葉についての行き違い。

はじめに

微生物系の研究では「資化」という言葉がある。ところがこの言葉には2通りの解釈があって、混乱をきたしている。どういうことか考察する。

2つの資化の意味

例えば、「大腸菌グルコースを資化する」とか「大腸菌グルコースの資化能を有する」とか「大腸菌グルコース資化性である」と言う。どれも同じ意味である。

この時、「グルコースを単一炭素源で生育できる」という意味であると受け止める人と、「グルコースを単一炭素源で生育できるかどうかではなく、グルコースをエネルギー源、炭素源として利用できるという意味である」と受け止める人がいる。これでは噛み合わない。

筆者は後者の立場だ。

言葉の意味から考える

言葉の意味から考えれば、「資」には資材、資源、発展に資する、とかそう行った意味であり、資化は「資材と化す」あるいは、「生育を資するものへと化す」との意味と考えることができる。国語の辞書を開いても、おおよそこのような意味だ。

単一炭素源として利用できなくても、「生育を資するものへと化している」ことはが確認できることは多々ある。例えば、栄養培地に、グルコースを加えた場合に、最終的な培養液の濁度が加えたグルコース濃度に応じで高くなるような場合だ。

また最近では、テトラゾリウムという物質が利用可能である。テトラゾリウムは、電子伝達系が動いた時に、流れた電子をかすめ取って還元され、紫色に発色する。グルコースを与えたときに、電子伝達系が動くなら、グルコースから還元力を取り出せているとみることができ、この場合、資化している、とみなすことができる。

単一炭素源で生育できるときに「資化する」と言い、単一炭素源で生育しないときに「資化しない」とするのは、言葉の意味から考えればおかしいことと思われる。

ではなぜ、単一炭素源で生育するかどうか、であるとする人がいるのか?

おそらく、かつては微生物の同定に生化学試験なるものが盛んに行われており、この時、様々な炭素源を単一炭素源として利用可能であるか調べ、その生物の性質として記録していったと思われる。

この時、グルコースを単一炭素源として生育可能であれば、グルコース資化性プラス、生育不可能であれば、グルコース資化性マイナス、と記録したのだと思われる。

この慣習によって、「資化性があるということは、単一炭素源として生育できるということであり、資化性がないとは、単一炭素源として生育できないことである」、と「資化」という言葉が言わば専門用語となり、資化の言葉の元々の意味が失われることとなったものと推察される。

今後

現在ではテトラゾリウムを利用した試験方法が主に用いられている。このような背景のもと、「単一炭素源として生育できる/できない」との意味で使用されることは、徐々に減っていくと思われる。

ここで、資化とはエネルギー源あるいは炭素源として利用できるという意味であるという立場をとったとする。会話の相手が「資化」という言葉を使った時、どちらの意味で使っているかは問題ではない。これは会話の相手がどちらの立場であったとしても、エネルギー源あるいは炭素源として利用できることには違いがないからだ。問題は、こちらがこの言葉を使う時だ。こちらが「資化能がある」といった時に、「単一炭素源として生育できるんですか?アミノ酸要求性があるとおっしゃいましたよね?」とかそういうレスポンスが返ってくる時があるのだ。ああ、またこれか.......これからはこのページへのリンクを送ることにしよう。

言葉を共有できていないと議論がしにくい。いっそ、資化という言葉を使うのはやめてしまって「エネルギー源として利用可能」「生育基質として利用可能」「エネルギー源として利用可能」という表現を用いたほうが行き違いを避ける上では良い方法かもしれない。